小渡幸信
小渡幸信
 昭和12年 サイパンに生まれサイパンにて終戦をむかえる。
その後 沖縄に戻り米軍施設にて勤務北中城の貸し家を
本土からきたタイル職人に貸す縁で弟子入り。
 70年代初めにからだを壊しヨガ道場に通い、玄米食、自然食を学ぶ。
昭和49年故人 谷克彦と出会い塩の研究をはじめる。
その後住まいを読谷村に移し、タイル業を生業としつつ海水塩研究施設
作り沖縄の伝統製塩を改良し自然塩づくりに4半世紀をかける。
 昭和54年11月に沖縄県よりタイル職人として優秀技能賞を受賞
平成6年5月に日本建築学会学会賞の技能賞を受賞。
 タイル職人として数々の賞を受賞するが塩づくりのため廃業し、
平成6年9月粟国島に立体式塩田タワーを建設本格的に
塩づくりをはじめる。
 平成10年株式会社沖縄海塩研究所へ法人化現在に至る。

1971年(昭和46年)12月24日
『塩業近代化臨時措置法』により、『イオン交換樹脂膜皮膜電気透析法』による製法の塩に変わり、専売制となる。
※通電性が良い溶液はPH5.5の酸性の溶液。
海水はPH7.9〜8.2の弱アルカリのため、塩酸や硫酸を使い酸性化している例が多い。専売公社は塩酸を使用していた。
※合成樹脂膜が溶解して塩に残留する危険性。
このような科学塩による健康破壊の懸念から、自然塩復活運動が開始。谷克彦氏らが中心となり、大阪府立大の武者宗一郎教授らの後援を得て、運動が発展していった。

1972年(昭和47年)
谷克彦を中心に食用塩調査会発足。

1973年(昭和48年)
赤穂の天塩へ協力の依頼をして自然塩の試作。にがり混入塩(にがり1:海水4)
※マグネシウムは高温だと塩に残りにくい。

1973年(昭和48年)9/28〜10/4
第1回塩づくりワークキャンプ  於・伊豆

1974年(昭和49年)8/15〜9/5
第2回塩づくりワークキャンプ  於・真栄田岬
※沖縄には300年余の製塩業の歴史があったが昭和47年の日本復帰により、独自の製塩法が消滅しつつあった。

1975年(昭和50年)6月〜
沖縄読谷村都屋の字有地で塩づくり(谷克彦、小渡幸信)
谷 克彦
プロフィール
1937年東京に生まれる。
立命館大学理工学部
数学物理学科
原子核物理学専攻
1965年 同卒業
日本における自然塩復活
運動の先駆者である。
著書に
『塩 いのちは海から』
がある。
約20年前の谷氏と小渡幸信
塩田の砂を均す谷氏と小渡幸信 ←読谷村都屋の部落用地。
50坪の揚浜式塩田を作り研究をしていた。
初期のタワー式塩田
↑タワー式塩田法
当時、他の塩田より効率の良いものとして考えられた。

塩の研究のため台湾へ視察した時の思い出のスナップ写真


1976年(昭和51年) 夏
谷克彦沖縄より引き揚げる。以後、小渡幸信は、読谷村瀬名波で、タイル業のかたわら塩づくりの研究を続ける。

1994年(平成6年) 9月〜
小渡幸信、沖縄県島尻郡粟国村に塩工場を建設。

1995年(平成7年) 10月
塩の生産販売開始。『粟国の塩』の銘柄で自然海塩を代表する全国的な知名度を得て今日に至る。

1998年(平成10年) 4月17日
株式会社沖縄海塩研究所として法人組織に変更。

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